大矢真那さんの卒業発表から1日経って

5年間応援していた推しが昨日卒業発表した。

大矢真那さん、君がいない生活に私は耐えられるだろうか。
 
数字にするとちっぽけなもので。5年という数字が人にどう映るか分からないが、私自身は「そんなもんだっけ」という気持ちになった。
 
真那さんが活動していた9年間、その4年目に君を見つけて、今に至る。
 
真那さんが自分の世界の中心になった日のことはあまり覚えていない。元々AKB48が好きだった。大家志津香さんがミラクル9に出演するようになった頃だろうか。なんとなく大家志津香さんのことを気にかけていて、その年にあった第3回選抜総選挙大家志津香さんの結果を見た。大家さんは29位で、その下の30位に真那さんの名前があった。単純に「おおや」が2人続いてる面白い、と思った。真那さんの存在を知ったのはその時が初めてだった。
 
それから、どんな子なんだろうと思い画像検索をした。別にタイプでは無かった気がする。でもなんとなく気になって、「大矢真那が可愛い」的なまとめを延々と見ていた。
ずっと見ていると、この子のこと好きになっちゃってるかもと気づいた。恋に気づいてからは早くて、それまでのブログを1から全部読んだ。画像も逐一保存した。
 
それまではアイドルのことは好きだったが、その人の内面には興味を持ったことはなかった。顔が可愛くてそれを見て幸せを得られれば成立していた。
ブログを読んだのも、写真を保存するためだった。しかし、真那さんの文章は人を惹きつけるものがあった。真っ直ぐで、素直で、嘘がなかった。いつの間にか私は真那さんのことを「人間として」好きになっていた。
 
紅白のこととか総選挙のこととか、ナゴヤドームのこととか、真那さんの好きなところとか、書いたらきりがないし、この記事は私が真那さんのことをいかに好きかということを書きたくて書いているわけではないので割愛する。
 
真那さんは、SKE48を卒業してからも芸能活動を続けるのか分からない。まだそれについて発言していない。
卒業してソロ活動をする真那さんのことを少し楽しみにしている自分もいた。タレントとして活動していくのか、モデルか、はたまた作家か。どのような道を選んだとしてもソロに進む真那さんを今まで通り、いや今まで以上に応援できると思っていた。
卒業発表を知ってから、私は至って冷静だった。アイドルの真那さんを見れなくなるのは寂しいけれど、この先の未来も楽しみだと感じていたからだ。他のファン、SKEファンの人はどう思っているんだろうとサーチをかけた。すると、多くの人は、真那がSKEを卒業=芸能界引退、を感じていた。
 
真那が、私の前から消えてしまうかもしれない。
 
その可能性が、ある。
 
それが頭によぎった時には、もう立っていられなかった。ベッドに倒れて呼吸が出来なくなるほど泣いた。
 
私にとって真那さんは神様であり、生活だった。いつも頭の一部に真那さんがいた。真那の存在が、生きる意味だった。
神様を失った自分は、これからどうやって生きていけばいいのだろう?
 
真那が幸せなら私も幸せ。それもある。だからどの道を選んでもきっと自分は幸せに思える。…そうだろうか?分からない。
 
芸能人の引退、それはもう存在の消去なのではないかと思う。どれだけ思いを寄せてもその思いは思い出の中の彼女に向けたものなのではないか。
 
「綺麗な思い出」になんてしたくない。「思い出」になんてなってほしくない。彼女が今日も元気でいることを確認したい。モバイルメールで今日何を食べたか報告してほしい。髪の毛を切ったことも報告してほしい。ブログで毎日おやすみなさいと言ってほしい。
この日常が、ある日突然無くなってしまうの?
 
前述した通り、真那さんはまだ今後の活動を発表していない。私の不安や心配は杞憂に終わるかもしれない。(杞憂であってほしい)
真那さんの卒業発表を受けての自分の感情の記録を残したかったので、この記事を書くに至った。
 
真那さんは言霊の人だった。
声に出して願えば夢は叶う、そうずっと唱え続けて、いくつもの夢を叶えて来た人だった。だから私も願いを文字にしておこうと思う。
 
 
真那さんのSKE48としての活動期間が、12月31日まででありますように。
卒業コンサートを開いてくれますように。
真那さんの夢が1つでも多く叶いますように。
これからもずっと芸能人でいてくれますように。
 
2017.6.27