素直な気持ち

これは反射だけで書いたものです。


単刀直入に言うと、すごく、嫌だ。そして、「負けた」と思った。何に負けたんだろう。分からない。とりあえず私は負けたのだ。

平野くんを好きになったとき、そしてこの子がデビューするのを見たいと思ったとき、そのとき私は「どんな形でもいいからデビューしてほしい」と思った。それがソロでもKINGでもPrinceとでも他の子とでも。平野くんは目的のためにはなんだってする子だと感じた。だから我が我がで良いからこの子がスターになるところを見たいとそう思っていた。
好きになった頃、もうその頃にはキンプリは2つのグループになっていた。6人とも顔も可愛いしなんでこれでデビューしなかったのか、この6人でデビューできたら1番平和かもなと思っていた。
少し時間が経ち、私はMr.KINGを好きになった。「平野くんがいるグループ」から「平野くんはMr.KINGの一員」という認識になった。最初は、平野くんの友達(という言い方もどうかと思うけどあえて)だから2人のことも知らなきゃなと思って「KING」単位で見るようになった。過去の少クラや、毎月出るドル誌。それを追うにつれていつのまにか「Mr.KING」が大好きになっていた。
KINGの好きなところは、沢山ある。1番は雰囲気なんだろうなと思う。兄弟のような仲の良さ。お互いを尊重しあう姿勢。現代っ子らしいおとなしさ。
そんな「ホンワカ」した3人が、日々の癒しだった。

よく、「3人ではデビューは無理だ」と他担の人が言っていた。何で?と思った。私は、3人のMr.KINGが日本を癒してくれると本気で思っていた。いいじゃないか3人。たまには少人数でもいいじゃない。だって唯一無二だもの。ずっとずっと信じていた。
「平野くんがデビューできるならなんでもいい」から「Mr.KINGでデビューしてほしい」になってしまっていた。時間が経ち過ぎた。

信じていたものは、あっけなく消えた。平野くんの見ている先は、私の見ている先と全く違ったのだ。ショックだった。
そりゃあ、スターと一般庶民の見てる未来が一緒なわけがない。失礼だ。でも、勘違いした厄介なオタクは、平野くんは3人でデビューできると、天下を取れると思っていると、思っていた…。

新聞やインタビューの類はよく読めていない。声の大きいところしか知らない。何がどういうことなのか、理解はできていない。
かなり前、それこそキンプリ結成の時から平野くんは6人でデビューしたいと思ってたんだろう。そこは、分かる。そうだろうと。でも、2つに分かれてからも、それを望んでいた、のか、と、脱力した。斜め読みしかしてないから分からない。そういうことなのかは分からない。
私が好きになったのはMr.KINGだった。3人だった。でも平野くんは(他の2人は分からない)KINGでいながら、6人を望んでいたのかと、じゃあ私は一体今まで何を見てきたの?と、そう感じた。
平野くんにとってMr.KINGが1番特別であってほしい、という思いは、ただの厄介なオタクの押し付け。

私だって、大手を振ってお祝いしたい。喜びの感情だけでおめでとうって言いたい。
なんでこんな、1番1番待っていて望んでいた日を、私は祝えないんだ…?

こんな嫌な感情になるなら、出会わなければ良かったねなんてメンヘラ女みたいなことを思いそうになる。でもやっぱKINGを好きになってからの期間はとっても楽しかったから、出会わなければ良かったなんて思わない。

これから自分が「キンプリ」を応援できるのかは分からない。
平野くんのことは好き。れんくんもかいちゃんのことも好き。Princeのことだって好きだ。6人で幸せになってほしいと、心から思う。

中途半端な感じだがここで終わる。結論が出せるわけもない。
昨日思ったことと、今日思ったことは違う。明日思うことも明後日思うことも違うだろう。変わることは、許してほしい。誰に、というわけではないけど。
書いたら、スッキリ…はしてないが、あぁ自分はこう思ってるんだと確認することができた。私は、こう、思っている。

先日、母親が死んだ。

突然すぎる死だった。

10日ばかり過ぎるが、頭は冴え切らない。

ぐるぐる ぐるぐる 同じことばかり考える。

答えの出ない問答を一日中。一日中。

 

 

通夜に、母親と繋がりのあった、家族ではない知り合いから手紙が届いた。

その手紙の中の言葉に、一瞬希望が閃いた。

 

 

悩みも苦しみもない世界で暮らしてください

 

 

棺桶に入れて焼いてしまったので

後半部分は原文ままではない。

 

悩みも苦しみもない世界

 

その一文は、血縁の私には思いつかなかった想像だった。

 

母は悩んでいた。

苦しんでいた。

 

それを、助けられなかった。

 

人は、人の悲しみを知ることはできない

苦しみも分かることはできない

 

そう思っていた。

だから私は放棄したのだ。

母の悩みも苦しみも悲しみも寂しさも、

なんの根拠もない「大丈夫だろう」という感情に押し流され、母を助けられなかったのだ。

 

失って、

母の身体がどれだけ冷たくなっていたかとか、

母がどれだけ寒さに身を凍えさせていたかとか、悩みであたまを抱え、毎日毎日、苦しみと戦っていたかとか、

失って気づいたのだ。

 

何もかも遅い。

全部遅い。

だってもう母はいない。

 

どれだけ後悔しても

この後悔はなんの役にも立たない

後悔すれば母が戻ってくるなら、私はこの後悔を一生しよう

でもそんなことは全くないのだ。

だからといって後悔しない日は来ない。

私は毎日、毎日、この食えもしない後悔と、毎日戦っていくのだ。

 

 

悩みも苦しみもない世界へ、母が行けたのなら……

 

 

ついにこの日が来てしまった。

この日と言ったがこの日の「前日」である。

あっという間だったな。

まさなちゃんがアイドルを卒業する日。

SKEを卒業する日。

本当にそんな日来るんだな。びっくりだわ。

 

私は在宅だったゆえ、まさなちゃんを見たのは両手で数えきれるレベル。なんなら片手かもしれない。

 

劇場にも行けない、コンサートにも行けない、握手会も行けない

 

そんなオタクが、5年間オタクでいれた。

 

まさなちゃんは家にいても応援できる

「応援させてくれる」

「応援してると思わせてくれる」

アイドルだった。

 

現場に来ないオタクはカスだとか

まぁこんな言い方はしないけどそう言うふうなことをいうアイドルは、いる。

 

でもそんなこと勿論言わないし、醸し出すこともしなかった。

 

まさなちゃんが今日もアイドルやってる、元気で生活している

 

そのことだけで、5年間ファンでいれたんだよ。

それって、すごくない?

 

対面しなくても、心と心で、アイドルとファンが繋がっていれた。

 

まさなちゃんは凄い人です。

 

彼女のおかげで大学も卒業できたし

迷ったり悩んだりすることがあれば、彼女のブログを読めばそこには答えが載っていた。

いつも真っ直ぐで、誠実な人だったから。道しるべになってくれていました。

 

歌って踊って笑ってる彼女は、可愛くて、最高にかっこよかった。

まさなちゃんのknknした独特な声、ちょっとヘタウマなかわいい歌声、しなやかなダンス

歌番組でSKEが出てるとき、まさなちゃんをすぐ見つける方法は、1番楽しんでる子を見つけること。端っこでも後ろでも、1番1番笑顔で楽しそうに踊ってた。

 

それもそれも、明日で終わり。

歌って踊るまさなちゃんは、明日で終わり。

 

寂しいけれど、きっとまた見れると思うから。

12月からは違う道。

その道にファンも連れてってくれるなら、とても幸せなことです。

 

ひとまず、まさなちゃんのSKE最後の日が、幸せで包まれますように。

それだけお祈りして、おやすみなさい。

どうやら、真那ちゃんはちゃんと、卒業後のことを伝えて旅立ってくれるらしい。

ありがとう。助かる。けど、考えるとまたつらくなる。

卒業後、どんな道を選んでも、彼女が幸せであるように。その思いだけは今まっすぐ思える。

あれから3日経ち

おそらく真那さんはSKEにいるときにやっておきたいことをやっておくんだろう。

いやはや、三年以上覚悟していたのに、いまだ心の暗雲は晴れない。1人のアイドルが、1人の女の子に戻るだけなのに。

 

今日カラオケに行き、真那さんが歌ってきた曲を歌った。さすがに望遠鏡のない天文台は涙がこぼれてしまった。卒業コンサートなのか、卒業公演なのか…きっとこの曲を披露するだろう。きっと美しく、輝くんだろう。

 

 

Starlight 情熱の星
Starlight 青春の日々
変わらずに輝いてる
星空に切なくなる
Tonight 吹き抜ける風
Tonight 夏草の匂い
君のことを思い出す
甘くて少し苦い
あの夏の恋

 

 

『星の地図に 載っていない あの夜に見つけた 名もない星』

 

あの日見つけた星は、大矢真那というひときわ輝く星だった。今日も君のことが1番好きだ。

 

大矢真那さんの卒業発表から1日経って

5年間応援していた推しが昨日卒業発表した。

大矢真那さん、君がいない生活に私は耐えられるだろうか。
 
数字にするとちっぽけなもので。5年という数字が人にどう映るか分からないが、私自身は「そんなもんだっけ」という気持ちになった。
 
真那さんが活動していた9年間、その4年目に君を見つけて、今に至る。
 
真那さんが自分の世界の中心になった日のことはあまり覚えていない。元々AKB48が好きだった。大家志津香さんがミラクル9に出演するようになった頃だろうか。なんとなく大家志津香さんのことを気にかけていて、その年にあった第3回選抜総選挙大家志津香さんの結果を見た。大家さんは29位で、その下の30位に真那さんの名前があった。単純に「おおや」が2人続いてる面白い、と思った。真那さんの存在を知ったのはその時が初めてだった。
 
それから、どんな子なんだろうと思い画像検索をした。別にタイプでは無かった気がする。でもなんとなく気になって、「大矢真那が可愛い」的なまとめを延々と見ていた。
ずっと見ていると、この子のこと好きになっちゃってるかもと気づいた。恋に気づいてからは早くて、それまでのブログを1から全部読んだ。画像も逐一保存した。
 
それまではアイドルのことは好きだったが、その人の内面には興味を持ったことはなかった。顔が可愛くてそれを見て幸せを得られれば成立していた。
ブログを読んだのも、写真を保存するためだった。しかし、真那さんの文章は人を惹きつけるものがあった。真っ直ぐで、素直で、嘘がなかった。いつの間にか私は真那さんのことを「人間として」好きになっていた。
 
紅白のこととか総選挙のこととか、ナゴヤドームのこととか、真那さんの好きなところとか、書いたらきりがないし、この記事は私が真那さんのことをいかに好きかということを書きたくて書いているわけではないので割愛する。
 
真那さんは、SKE48を卒業してからも芸能活動を続けるのか分からない。まだそれについて発言していない。
卒業してソロ活動をする真那さんのことを少し楽しみにしている自分もいた。タレントとして活動していくのか、モデルか、はたまた作家か。どのような道を選んだとしてもソロに進む真那さんを今まで通り、いや今まで以上に応援できると思っていた。
卒業発表を知ってから、私は至って冷静だった。アイドルの真那さんを見れなくなるのは寂しいけれど、この先の未来も楽しみだと感じていたからだ。他のファン、SKEファンの人はどう思っているんだろうとサーチをかけた。すると、多くの人は、真那がSKEを卒業=芸能界引退、を感じていた。
 
真那が、私の前から消えてしまうかもしれない。
 
その可能性が、ある。
 
それが頭によぎった時には、もう立っていられなかった。ベッドに倒れて呼吸が出来なくなるほど泣いた。
 
私にとって真那さんは神様であり、生活だった。いつも頭の一部に真那さんがいた。真那の存在が、生きる意味だった。
神様を失った自分は、これからどうやって生きていけばいいのだろう?
 
真那が幸せなら私も幸せ。それもある。だからどの道を選んでもきっと自分は幸せに思える。…そうだろうか?分からない。
 
芸能人の引退、それはもう存在の消去なのではないかと思う。どれだけ思いを寄せてもその思いは思い出の中の彼女に向けたものなのではないか。
 
「綺麗な思い出」になんてしたくない。「思い出」になんてなってほしくない。彼女が今日も元気でいることを確認したい。モバイルメールで今日何を食べたか報告してほしい。髪の毛を切ったことも報告してほしい。ブログで毎日おやすみなさいと言ってほしい。
この日常が、ある日突然無くなってしまうの?
 
前述した通り、真那さんはまだ今後の活動を発表していない。私の不安や心配は杞憂に終わるかもしれない。(杞憂であってほしい)
真那さんの卒業発表を受けての自分の感情の記録を残したかったので、この記事を書くに至った。
 
真那さんは言霊の人だった。
声に出して願えば夢は叶う、そうずっと唱え続けて、いくつもの夢を叶えて来た人だった。だから私も願いを文字にしておこうと思う。
 
 
真那さんのSKE48としての活動期間が、12月31日まででありますように。
卒業コンサートを開いてくれますように。
真那さんの夢が1つでも多く叶いますように。
これからもずっと芸能人でいてくれますように。
 
2017.6.27